中国料理の迷宮

中国料理の迷宮 (講談社現代新書)

中国料理の迷宮 (講談社現代新書)

魯迅の北京での外食風景
清代の街の味 
料理店は「荘子」と「館子」にわかれ、「荘子」は宴会専用の超高級大料亭で、王府や富裕階層が祝宴を行う場所だったが、その後、「荘子」は「堂」の名前を持つ料理店になっていく。日本満州国北京大使館がよく使った「会賢堂」,
後門(地安門)の四大飯荘のうち、
「降豊堂」は王府向け、
「慶和堂」は内務府の官僚、
「徳豊堂」は北京北城の商人
慶雲堂」は文人や京劇俳優などの有名人
北京の料理店はほとんど「堂・居・楼」の名が付けられていた。
清末になると「堂」は少々古くさくなり、変わって八大居や八大楼、八大春、八大坊などと言われる時代になった。
居と楼は山東料理
八大居とは、砂鍋居、泰豊居、万福居、福興居、同興居、東興居、広和居、同和居
この中の広和居が魯が足繁く通い、清末光緒帝の頃には既に名居であったが、1933年に閉店し、料理人は同和居に流れ、同和居は充実した店になった。
同和居の「大豆腐」「三不粘」「大饅頭」など山東料理がこの店の名物料理。

「南甜北咸东辣西酸」 と習ったが、この書では、中国の味は 「南甜北咸东酸西辣」とおおざっぱに分けるとなっている。